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水野翁の望みし事

その3

「さてと、そろそろわしはいつもの作業を始めようかね。」

私はそういって店のカウンターの裏へ入る。

当然のことだが、夢の中ともいえるこちらの世界から
現実の世界へ物を持っていくこともできないし、
現実からこちらへも然りである。

そこでこの喫茶店では、こちらの世界で入手した品物を
マスターが預かってくれている。

とはいってもここではマスターが不在のことが多く、
大抵は自分が預けたものは各自で勝手に持ち出すこととなる。

カウンターの裏側の床では大きな板が取り外せるようになっていて、
板の下には地下へと続く階段がある。

そこを降りれば私達常連客の荷物を保管してある
ロッカーが並ぶ部屋にたどり着く。

私が階段を降りているとき、ソイルが少し驚いた様子で
誰かに尋ねている声が聞こえた。

「あれ、ウェンさん、店の裏側に入って行っちゃいましたね…
 いいんですか?あの、勝手に…」

「あぁ、あの爺さん少しボケ始めてるからなぁ。
 少し見に行ったげた方がいいかもな。」

「いやいやいや、ウェンさんは別にボケてなんかいないですって!
 あそこには僕らの荷物を保管してくれるロッカーがあって…」

こうした3人のやりとりをききつつ、私は自分のロッカーへと向かう。
このロッカー、鍵はこの喫茶店のマスターがもっているのだが、
鍵がなくても、ロッカーの中身の所有者自身なら
開けることが可能であるという、不思議な構造をしている。

メカニズムはわからないのだが、とにかく
「毎日荷物の持ち込みができない現実と行き来をする」
かつ「鍵の所有者と常に会えるわけではない」
状況下では便利この上ないロッカーである。

私は自分のロッカーを開け、所望のものを取り出した。

それは筆ペンと何枚かの原稿用紙。
原稿用紙の中には既に書き込み終わったものもある。

階段を上り地上へ戻ると、階段の上でツリーが待っていた。
「また読みたいのかい?
 ツリーはどこまで読んだんだっけな?」

「…ゴルドが初めてここにきた日の話のあたり…」

「ウェンさん、最初の方の原稿、あります?
 ソイルさんにも読ませてあげたいなぁ。」

ムーンが声をかけてくる。


私はこちらの世界で、こちらの世界の日記を小説風につけている。
どうやら愛読者も何人かいてくれるようだ。

こちらの世界では現実では見たこともないことを見聞きできるので、
日記など書かずに外出したり、バイトしたりと、
動き回るほうがはるかに楽しいかもしれない。

けれども、私はここにきて、この日記を付けるという行為を
何の疑いもなく始めていた。

ここの喫茶店で常連客と話をし、
時間を共有し、その事実を記録する。

それだけで、私は軽い満足を覚えている。


*

二週間後―

私は家族とともに、自宅から車で2,3時間かかる
隣の県の温泉町へ向かっていた。

ここでいう「家族」は、妻の律子、
そして息子の晴海の三人を指している。

「いいから運転は俺に任せて
 親父はおふくろと後ろでゆっくりしてな。」

自宅前まで私達を自分の車で迎えに来た晴海は、
そういってから今まで私と交代することなく
運転を続けていた。

彼の愛車は4人乗りの小型の軽自動車である。

つい数年前まで、私とは別の構成員から成る
仲の良い三人の親子がこの車に乗っていた。

厳密には、いつからかその親子の仲が良くなくなったのも
事実であろう。そもそも、彼ら当人からすれば、
今となっては彼ら親子の仲がよかった時期が
あったのかどうかさえも曖昧になっているのかもしれない。

とにかく、そのどちらの親子の構成員にも含まれている
唯一の人物にしてこの車の所有者、水野晴海は
この軽自動車に残っている昔の思い出を
振り切ろうとでもしているのか、ひたすら運転に没頭していた。


そんな一人息子を心配しつつも、私達夫婦は
久々の旅行(といっても一泊二日の小旅行だ)
に年甲斐もなく興奮を抑えきれずにいた。

特に律子は、自動車内でさっきから目的地の
温泉町のガイドブックに読みふけっている。

「ねぇあなた、ここの温泉には有名な俳人が
 温泉に入ったときに詠んだ句が
 彫られた碑があるんですって。
 ここも行ってみましょうよ。」

「おいおい、一泊二日でそんなに回れるか?
 というより律子、さっきからずっと本を読んでて
 気持ち悪くならないか?」

「平気よ。それより、ここの料亭のコース料理おいしそうね。
 宿泊場所と食事の場所、同じ所に予約するんじゃなかったわ…。」

車酔いとは無縁の彼女の気丈さを見ることで、
私は元々律子のこんなところに
惹かれたのだということを思い出していた。

律子の元気さにつられて、私も徐々にこの旅行が
楽しみに、いや、楽しくなってきていた。

 


現実でも妻や息子と共に楽しめれば、
夢で一人だけ楽しんでいることにも
後ろめたさを感じることはなくなるだろう。

「喫茶店」やその外では、ウサギ顔の女性、
ソイルが新たな常連客になってからも
小さな、けれども確かに新鮮な出来事が
起こり続けている。

夢の中で日記をつけ続けることも
あながち無駄じゃあないかもね、と
最近ではフレイが認めざるを得ないほど
あの世界は新たな出来事を持ち寄り続ける。

なんのためにあるかは知らないが、
私達は「喫茶店」を思うがままに利用し、
他の常連客との出会いや
「喫茶店」の外の見知らぬ世界を
素直に楽しんではいる。

それでも喫茶店の楽しみというのは
現実の本当の楽しみ、
家族と共有できる楽しみには
敵わないのではないかと思う。

所詮は夢の世界、
現実の代替物に過ぎないのではないか。


喫茶店のことをそんなふうに
ないがしろに考えながらも、
私はそのとき、律子がうれしそうにする話に
あいづちをうつことに夢中になっていた。

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