いーちゃんから見た世界

その2

いぶきが手鏡を用いて
自分がツリーであることの
最終確認を終えたころ、
喫茶店の入口が開き
犬顔の青年が入ってきた。

彼の名前はムーン。
どこか頼りないのだが
そのせいか一緒にいると
安心した気分になる。

「こんにちは、マスター。
 やぁ、ツリー。
 今日も早いね。」

「そういう君も今日は早いね。」

「へへ…。
 今日は向こうで久しぶりに
 いっぱい体動かしたから、
 疲れててすぐにこっちに来ちゃいました。」

マスターの返しにムーンは頭を書いた。

「でもそんなに疲れていて
 よく小瓶の『香り』を嗅ぎ忘れなかったねぇ。」

鳩顔の店長が感心する。
ツリーにとっての「匂い袋」に関する話だ。

「それがマスター、
 最近はたまに小瓶を嗅がなくても
 こっちに来れることがあるんですよ。
 今日も実はそうでした。」

店長は「へぇ、そうなのかい…」と
驚きながらも何か考え込んでいた。

ツリーは毎晩匂い袋の匂いをかぐことを
最早一種の儀式とみなしていたため、
匂い袋を入手してから今日まで
嗅ぎ忘れるということがなかった。

「さって、今日はバイトにでも行こうかなぁ。
 確かこっちのお金、底をつきそうなんだっけ…。」

「今日もいっぱい求人情報きてるよ〜」

店長はそういってムーンに
バイトの情報が書かれた表を渡した。

この世界でのバイトは
喫茶店の外に出て
貼り紙を見たり現地に行ったりして
前もって、もしくは当日に契約するのだが、
喫茶店でも店長が外での仕事を斡旋してくれる。

ムーンが眺めている表を
ツリーも横から覗いていると、
しばらくして再び入口の扉が開いた。

「こんにちは〜。
 あれ?なになに?
 二人ともバイト行くの?
 私もいこっかな〜。」

店に入ってくるなり
皆の所へ駆け込んできた
猫顔の彼女はフレイ。

この店の女性の常連客は
皆ツリーにとって憧れの
お姉さんである。

「あ〜うん。
 …折角だし今日は皆で
 できるバイトを探そうか。
 こんなのはどうかな。」

最近はムーンが何かをやっているとき、
そばにこのフレイがいるなあと、
聡明な少女は感じていた。


*

三人が選んだバイトの作業内容は
虫の卵を集めることだった。

この町の西のはずれに
アオダマ虫と呼ばれる虫が
たくさん見られる林がある。

その虫はツルの直径が大人の女性の ふくらはぎほどの太さである巨大ツル性植物の
茂みの中にピンポン玉ほどの大きさの
卵の集まりを産み付ける。

その卵は鮮やかな紫色をしており、
誤ってつぶしてみようものなら
内側からより鮮やかな色の液体が滲み出てくる。

皮膚や衣料に付着してもなかなか落ちない
その卵の液体はこの町では染料として利用されていた。

卵が付着しているツルは柔らかく、
人体に害を及ぼすような生き物も近寄らないため、
卵の採集における危険性は小さい。

よってツリーのような小さな子供でも
作業が可能なバイトである。

むしろ巨大なツルの塊の中で
小回りが利く分、ツリーの小さな体は
この作業に向いているといえた。

「ツリ〜!
 ム〜ン!

 近くにいる〜!?」

すぐそばでフレイの声が聞こえた。
だがその姿はツルの茂みに隠れてまったく見えない。

「まあまあ近くにいるよ。
 どうかした?」

「どうもしないわよ。
 なんとなく確認しただけ…

 ってきゃあっ!
 服にシミがついてる!
 何コレーっ!」

ムーンの返事に
悲鳴で応酬するフレイの姿を想像し、
ツリーはクスリと笑う。

フレイの明るさやまっすぐさに
ツリーは幾度となく元気をもらっていた。

それと同時に彼女の性格に
羨望の念も抱いていた。

自分もあれくらい楽しそうに
大声を上げることができたらな…
そう思いつつもフレイの呼びかけに
大声を出して返事をよこせないでいる
自分にツリーは腹を立てていた。

幼稚園の自由時間でも
その人見知りが災いして
一人で遊ぶことが多い。

その結果、自分でも気づかないうちに
距離を置いて他人を「見る」能力が
長けてきているのだが、それはさておき
ツリーは一人遊びの多い自分の現状を
あまりよろしくないことだと感じていた。

よろしくないとは感じているものの、
一人で何かをしていることが嫌いではなかった。

だからツリーにとって
一人の時間を確保できつつ
ムーンやフレイと同じ作業をしているという
連帯感を得ることができる
このアオダマ虫の卵採集のバイトは
最高のものだと感じていた。

思わず気持ちが高揚し、ツリーは卵を腰にかけている
袋に詰める作業に没頭し続けた。

袋の中が卵でいっぱいになったころ、
ツリーは自分の居場所がわからなくなっていた。

近くではムーンやフレイの声は聞こえず、
最初のころは感じられた二人の気配も
感じられなくなっていた。

不安になってひたすら茂みの中を走り続けると
茂みの外にでることはできた。

しかし、彼女を待っていたのは
入ってきた場所とは異なる見知らぬ光景と
「人間の顔をした」見知らぬ男であった。


〜つづく〜

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