ごめんね火田さん

その1

今日は最悪の日だ。

もう何も考えたくない。
もう誰も信じられない。
私、馬鹿みたい。

校門を出た後は、
ひたすら今の顔を見られないように
隠しながら走った。
(考えてみれば、そんなことするほうが
却ってよっぽど目立つんだけどね)

 

どんなことがあっても泣かない、ということが
あるときからそのときまでの
私の信条の一つだった。

小学校のときはけんか相手の男の子が
泣いても私はちっとも泣かなかったし、
中学校のときは女の先輩に「気に入らない」と
目をつけられて、色々いやぁ〜〜〜なことをされ続けたときも
涙を見せるどころか冷たい目で睨み付けてやった。

そりゃ我慢するのは大変だけど、
まぁ我慢はできる。
そんなものだと思ってた。

でも今回は場合が違った。

その瞬間、頭が真っ白になっちゃって、
何にも考えられなくなっちゃって、
とてもその場にいられなくなっちゃって、
気がつけば涙も勝手にポロポロ流れていた。


ここで最低限の身の回りの人物紹介と
これまでのいきさつを。

増谷先輩は私と同じテニス部で、
私が先輩を意識しだしたのは
先月の学園祭から。

部活仲間と一緒に出店を出して
豚汁を売っているうちに、
先輩の一生懸命さと優しさに
気づいてしまった。

それからというもの、
頭の中から先輩のことが忘れられなかった。

先輩のことを考えてぼぉ〜っとしてるときに
後ろから本人に声をかけられて
あわてて「ひゃいっ!?」と裏返った声で
返事をしたこともあったな、うん。

頭がパンパンになった私は部活の親友の美樹に
そのことを話してみた。
「アンタのその押しの強さでいけば
 増谷先輩なんてすぐコロリよ!
 頑張りなっ。」

自信を失くした人に
その人の心の底から
元気を与えることを言ってあげることができる。
そんなところが美樹の良いところだ。

でもなかなか私も告白などたいそれたこともできず
ただ日々が過ぎていった。

そして今日。

私は部活の練習帰りに
教室に忘れ物をしたことに気づいた。

明日提出の宿題に必要な本なので
取りに戻ろうと学校の下駄箱に向かう。

下駄箱の前にたどり着いたとき、
私は下駄箱の奥の廊下で
実に見慣れた二人の
実に斬新な姿を見つけた。

 

増谷先輩と美樹が抱き合っていた。

漫画とかでよくあるパターンである。
でも自分が当人になると「あるある!」じゃすまされない。
ってか思考が止まったしね。

思わずその場をUターン。
そして現在に至る。

そう、とにかく今日は最悪な日だってことはわかる。


*

私の学校の最寄の駅の目の前には
商店街がある。

そして私はいつもその駅から自分の家に帰るし、
その商店街は私、というか学生達の帰り道になっていた。

冬も近く、部活の終わった時間なので
あたりは真っ暗で、商店街に人気はなかった。

部活をやっている他の学生が歩いていても
おかしくはないのだけれど、
今日はたまたま周りに誰もいない。

―結局、忘れ物取りにいけなかったな…

ある程度涙も出しつくし、
私は目的が達成できなかったことを
少し悔やみながら、
商店街をとぼとぼ歩いていた。

さっき自分が見た光景が
頭によぎる度、
必死にそれを追い出そうと
頭を振ってみる。

あぁ、また何も考えられなくなりそうだ…。
帰ったら、また思い出しちゃうのかな…。

そう思うと、体はくたくたなのに
家に帰って休みたくなくなった。

私はふらっと商店街の途中で小道を曲がった。

細い道の傍らで露天商のおじさんが
灯りをつけて座っていた。

おじさんの表情は暗くてよく見えなかったけれど
かなり厚着のようだ。

いつもなら気味が悪くて引き返していたかもしれない。
でも今日はそんなこと考える気にもならなかったし、
ここをつっきってどっか遠くへ行ってやろうと思った。

商品が並べられている目の前に来たあたりで、
私は声をかけられた。

「お姉ちゃん、今にも消えちまいそうな顔してるねえ。
 失恋に効く薬、サービスしてあげようか?」

露天商の適当な冗談が単に図星だっただけかもしれない。
でも私はその言葉に驚いて
露天商のほうをつい振り向いてしまった。

「お、いい反応だね。
 今なら閉店間際の大サービス。
 この小瓶をタダであげるよ。
 寝る前にこの中身を嗅げば
 あら不思議、ぐっすり眠れて
 いい夢見るよ。」

正直言って、滅茶苦茶怪しい。
危ないクスリじゃないの?とも思う。

でも、まぁタダより安いものもないし、
今の自分の状況を当てられたのもあって、
だまされたと思って「それ、下さい。」
と言ってみた。

「毎度っ!

 …姉ちゃん。ホント今日はぐっすり
 それ飲んで寝ると良いよ。
 世の中、自分が今見ていることが
 すべてじゃないんだ。
 明日になればまた見えるものも
 広がるよ、きっと。」

露天商のおっちゃんは、
小瓶を私に手渡しながら
こう言ってくれた。

フードとマフラーの間から
かろうじて見える彼の目は微笑んでいた。


*

結局私はその後まっすぐ家に帰った。

露天商のおじさんの言葉を聞くと、
さっさと今日みたいな日を
終わらせてしまおうって気になった。

明日増谷先輩と美樹と顔を合わせたときに
どうリアクションしよう、とか
明日の宿題どうしよう、とか余計なことを
今晩ずっと悩むのもいやだし、最悪明日は仮病使って休んじゃえとも思う。

本当にこの小瓶にぐっすり眠らせる効果があるんだったら
とにかく今日はこの中をかいでさっさと寝てしまおう。

きっと明日は今日よりはよっぽどマシな日だ。


「あらお帰り。今日は少し遅かったじゃない。」

「ごめん、今日はちょっと友達と
 一緒に外でご飯食べてきちゃった。

 母さんに連絡するの忘れてて…風呂だけ入って寝るね。」

精神的に食欲も失くしてしまっていたので
私のためにご飯を用意して待ってくれていた母親に
適当なウソをついた。

本当は風呂も入らずにそのまま自分の部屋のベッドに
直行したかったけど、今下手に詮索されると
私の中の何かが暴発しそうなんで
お風呂だけは行くことにした。

湯船につかると少し体と頭が落ち着いた。
いや、落ち着いた、というよりかは気が抜けた、
という感じかもしれない。
頭がぼんやりしだしたので少しの間
それに逆らわずにいた。
無心でいられた。

でもまたしばらくしてから
学校でのことを思い出しかけたので
私は急いでお風呂から上がった。

母親にいつもより早いおやすみを言って
自分の部屋に戻る。

一応いつもどおりに目覚ましをセットして、
例の小瓶を鞄から取り出す。

薄桃色の陶器の小瓶にはコルクの栓がしてある。
軽く横に振ってみたらシャカシャカと音がなった。

栓をはずすと中には容器と同じ薄桃色の
粉が入っているのが見えた。

「本当に人体には無害なのかしら…」

おそるおそる瓶のにおいをかいでみる。

 

柑橘類のにおい…ゆずか何かの香りがした。
とっても濃い香りだけれど、不思議としつこくはなかった。
気持ちが落ち着く。

「いいにおい…」

ある程度かいだ後、栓を再び閉めて
これは当たりかな、と少し得した気分になりながら、
電気を消してベッドに横になった。

考え事をする間もなく、私の意識は遠いところへ向かう。

 

私の近くで男性の笑い声が聞こえた。
それに応じて、もう一人がこう尋ねている。

「なんだよムーン、俺の武勇伝のどこに
 笑うべき箇所があったよ?」

「ハハ、いやだってレジ袋断った後、
 結局両手がふさがって他人にもってもらったんでしょ。

 いくら地球に優しいっていっても回りに迷惑かけてちゃねえ。」

こんなどうでもいい話をしているのが、
目の前の犬と猪の顔をした
二人のヒトだというのに気づくのには、
そう時間はかからなかった。


〜つづく〜

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