月島君のペース

その4

その後も店内で話は続いた。

特別盛り上がる話題もなく、
どこかしら淡々としたやりとりではあったけれど、
店の中にいた四人はみな会話に耳を傾けていた。

ただ本音を言えば、ツリーだけは話を聞いてるのかどうか
よくわからないそぶりをみせていた。
ウェンさんの顔をずっと見つめているかと思えば、
次は僕の眼鏡にやたらと興味を示したり、
カウンター越しの食器棚を眺めていたりしていた。

マスターが淹れてくれたコーヒーは
とても暖かくて、おいしかった。

どれくらい時間がたっただろうか。

自分でも意外なほどたくさんあった
話題もやっと途切れ、
ふとコーヒーのお代を支払わなければ
ならないのではないかと考えた。

「すいません、マスター。
先にお勘定払っときましょうか?」

「ん、ああ。いいよいいよ。
出世払いということで。
どうせ君、今の姿ではお金持ってないはずだしね。」

確かに今気づいたのだが、
服装が変わっているので前の服の中に
入っていたお金もない。

そのお金もこの店で通用していたかどうか。


ふと、まぶたが重くなる。

「あ、そろそろ『店を出る』方法を教えてもらえませんか?
 なんか眠くなってきちゃって…」

僕の質問を聞いてウェンさんとマスターは
顔を見合わせ互いに微笑んだ。

「その状態ならもうすぐ君は
 何をせずとも『店を出られる』さ。

 ほら、ツリー、ムーンお兄ちゃんに
 さよならを言いなさい。」

か細いながらはっきりと
ツリーが僕にさよならと言ってくれた間にも
僕の眠気はひどくなっていく。

僕は三人に別れの挨拶をかわす。
この場で眠ってしまう前に。
もはや立ち上がることもできない。

「どうもみなさんありがとうございました。
 楽しかったんでまた来ますね。

 マスター、コーヒーおいしかったです。」

「サンキュー。今度は酒でも飲んでいってよ。」

「ウェンさん、また相談乗ってくださいね。」

「いいよ、今度は自分の家からここに来るといい。
 今日より長くここで楽しめるだろう。」

「ツリーも、バイバイ。」

みんなに一通り挨拶ができた後、
自分がまだこの店に来る方法を
知らないことに気づいたが、
もうこれ以上質問する余裕もなく、
僕はその場で深い眠りについた。


*

目覚めるとそこは
おでんを注文したあの居酒屋だった。

当然と言えば当然なのかもしれない。
今までの出来事が夢だと考えても
違和感のないことだ。

腕時計を見たら12時前だった。
この店に入ったのが10時半前。
夢の中で過ぎた時間はもっと長かった気がするが、
お店でうたた寝するには充分長すぎる時間だった。

「あぁ、お客さん、お帰りですか?」

寝る前に水を出してくれた若者が
横から声をかけてくる。

「え、あぁ、すいません、
 長いこと眠っちゃったみたいで…」

「まぁ、それが本来ウチの店でやっていただくことですし。」

「え?」

僕が質問を投げかけようとする前に
その若い店員は僕に小瓶を差し出す。

毎度のことではあるが、
僕がもたもたしているうちに
話が先に進んでいくようで
ちょっとだけ、切ない。

「これ、どうぞお持ち帰りください。
 この瓶の中をかいでから寝ると、
 寝つきもよくなるし、
 お店に再入店できますよ。」

僕は改めて店員の顔を
まじまじとみつめなおす。

再入店―

この人は、動物の顔をした人間だらけの
あの奇妙な店を知っているのだ。
いや、それよりも…

「本当ですか!?
 また、あの店にいけるんですか?

 自分の家からでも?」

「はい。においの効果が薄れてきたら
 またうちの店に来てもらえば差し上げます。

 ただ、今晩は一度入店してしまったので
 おそらく再入店できるのは明日の晩
 からでしょうね。」

あまりにも突拍子のない話が続く。
けれど、再びあの店に行けるのは悪くない。

「ちょっとだけ、ここでかいでみてもいいですか?」

もともと怪しい話ではあるが、どんなにおいがするかは
気になるところではある。

「いいですよ。」

陶器でできた小瓶のふたを開けて
においをかいでみたが、においはしなかった。

「においがしないでしょう?
 この瓶の中身は、
 かぐ人のそのときの気持ちによって
 においの強さや種類が変わるんです。

 においを感じないのは、
 あなたの欲求がほぼ満たされているということだと思います。
 今晩あなたがかがれたおでんのにおいも、
 あなたの感情を反映したにおいの一種です。

 また明日の夜、疲れているときにかいでみてください。
 信憑性がわかない話かもしれません。
 信じていただけなければ試されなくても
 捨てていただいても構いません。」

おでんのことを思い出したが、
もうおでんを欲しいとは思っていなかった。

おなかはバイトのまかないで
もとどおり膨れていた。

先程奥で作っていたおでんもなくなっていて、
店長らしき中年の人は
調理場の掃除をしていた。

僕は店員さんの話を信じたかった。

この話を否定すると、自分が見たあの喫茶店を
同様に否定してしまうことになりそうだからだ。

僕は小瓶を受け取り、席をたった。

自分の財布があるのを確認し、
さすがにここでは小瓶のお代を払わなきゃな、
と思っていた矢先、奥で掃除をしている
店長のこの声を聞いた。

「お客さん、勘定は出世払いってことで。」

 

デジャヴ である。

 

二人にお礼を言って店を出て、
はっきりと店の場所を確認してから
帰途についた。

自分が物事が同時にできない ということや、
その他もろもろのもやもやしたことは
気がつけば頭の中から消えていた。

ただ、明日の晩が少し楽しみである。
この楽しみがあれば、なんだか学校生活やバイトも
うまくいくような気がなんとなく、する。

たとえ実際はうまくいかなくても、
それはそれでいいとも思える。

 


普段は誰か他人のペースに合わせているだけかもしれないし、
もしかしたらそれすらできてもいないかもしれない。

けれど僕自身のペース、マイペースは確かにあるし、
それはすぐには変えることができないのも確かだ。

そのペースを表情や仕草を交えて伝えられる場。
そのペースを違わせる必要もなく受け取ってくれる相手。

それらを得ることができるのは、
僕や僕の持つペースにとって、
とても幸せなことかもしれない。

明日からがなんとなく楽しみである。
自転車のペダルを少し強めに、こいでみた。


〜了〜

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