月島君のペース

その3

お互いの自己紹介は終わった。

といっても名前と年齢ぐらいしか
教えあってはいない。

しかもその名前も自分が考えただけで
これまで自分が呼ばれていたものではない。

それ以外に何を紹介して良かったのか。

本当の名前を言ってはいけないのならば
きっと自分がどこに住んでいて、何をしている
人間なのかも言ってはならないのかもしれない。


その事実に対してうっすらと言いようのない
不安を感じながらも、僕はウェンさんに
さっき思いついた質問をした。

「僕はたくさん質問をすべきなのかもしれないんですが…
 まず思いついたことから順に訊かせていただきます。

 ここはどこで、何故僕はここにいるのでしょうか?」


ウェンさんはゆっくりと、時間をかけて
僕の質問に答えてくれた。

不思議と僕にとってはそのウェンさんの対応が
心地よいものに感じた。

ここでは焦ることはないのだという雰囲気が
僕を安心させる。

「ここはワシや君やツリーが望んでいた場所。
 何故ここを望むのかは人によって違うかもしれんがのう。

   君やワシらが日々『人間の』姿で住んでいる場所とは
 違った場所のようじゃ。

 だが君を始めここにいる者はみな自分から
 『この店の』ドアを開けてここに入店してきた。

 そして同様に店を出ることだって可能なんじゃよ。」


「店を出る、ということは、元の場所に戻れるということですか?」

この質問をした瞬間、僕は自分がここに来る直前に
居酒屋で注文したおでんを待っていたことを
唐突に思い出した。

自分の言う「元の場所」を頭の中で
探し続けた結果である。

僕が自分であけたのは
あの居酒屋の入り口だけだな、と
思い返していると、
ウェンさんが引き続き質問の答を返してくれた。

「元の場所にはいずれは帰ることになるじゃろう。
 ただこの店では『店を出る』のと『店から外出する』ことは
 別の意味を表す。

   最初はややこしいかもしれんが、ツリーも覚えたことじゃ。
 すぐに慣れる違いじゃろう。

 『店を出る』ことは君の言う『元の場所に戻る』こと。
 もちろん『店を出た』後は君は犬ではなくなるし、
 もとの生活をいつも通り続けることになる。

 『店から外出する』ことはこの店の入り口から
 物理的に外に出ること。

 君が再びドアに手をかけ外にでれば、
 そこの窓から覗いて見える景色と同じ場所に
 『外出する』ことができる。」

ウェンさんが指し示した入り口の横にある窓から、
明るい外の様子が見える。
そこからは向かいの建物のレンガの壁が見える。
間に道路をはさんでいるようだ。

そこは明らかに僕の住んでいた町並みとは違う、
洋風の町並みであったし、
バイト帰りの夜中でもなかった。

なるほど確かに『店を出る』行為と
『店から外出する』行為は違うのだろう。

じゃあ…

「『店から出る』には何をすればいいのですか?」

ウェンさんは優しく笑う。

「まあその手段は君がどのみち体感することになるじゃろうから
 あえて教えんでおこう。
 時間の心配はまずせんでよいしの。

   それとも君はすぐにでも元の場所に帰りたいのかね?」


ここで僕は気づく。
僕はここにもう少し居たいようである。

あわてることのない、話し相手の居る場所。

ここはきっと僕の望んだ場所なのだ。

*

ふいに店の奥から高い声が聞こえた。

「おっ、新しいお客さんだねっ」

例に漏れず、人間ではないヒトが店の奥から顔を覗かせた。
どうやら今度は鳥人間…鳩人間のようだ。

「マスター、どこへ行ってたんだい。
 一通りここのルールは教えてしまったよ。」

「いや〜ゴメンゴメン。
 ちょっと買い物に行っててね…」

他の店員もいないのに
客がいるときに店長自らが外出したというのか。
なんとも無用心な話である。

さっきウェンさんが自らカウンター裏まで
入ってグラスを出したことといい、
若干非常識なことがここでは通用するようだ。

「ほんとまだ慣れていなくてね。
 ここを開店したのは最近だから。」

「さっきえらそうなことを話したが、
 マスターの言うとおりこの店は開店して間もなくて、
 ワシもツリーもこの店に来るようになって
 間もないんじゃ。」

「ウェン爺が最初のお客さん、
 嬢ちゃんがその次の日に来始めて
 それから四日間ほぼ毎日二人とも来てくれてるよ。
 そんで今日は兄ちゃんが初来店ってわけだ。

 なんか飲むかい?好きなものを頼んでみなよ。」

おそらく居酒屋のときと同じく
メニューはないのだろうと考えた。

このお昼時の洋風の喫茶店に似合うような
コーヒーでも頼もうと思い、
マスターに注文してみる。

「かしこまりました。」そういってマスターは
カウンター奥でコーヒー作りにとりかかってくれる。


「それじゃあツリーとウェンさんも
 最近知り合ったばかりなんですね。
 その割には孫と祖父みたいに仲が良さそうですが」

気がついたら元の席についたウェンさんの膝の上に
最初のようにツリーがちょこんと乗っていた。

「そうじゃよ。じゃから君もすぐに
 ここに馴染むと思うがね。

 今日は初日だから君も長居はできんかもしれんが、
 少しこの店でゆっくり話でもしていくといいさ。

 どうだね、最近なんかいい事あったかい。」


この非現実的な空間で
余りにも日常的な問いかけをされたものだから
少し驚いたが、僕はこの後自分でも不思議なくらい
内面的な悩みを吐露することになる。


これらの熊のおじいさん、リスの少女、鳩の店長、
もしくはこの店の雰囲気自体に対して
僕は知らず知らずのうちに警戒心を解いていたのだろう。

*

「いいことですか?
 特にないですね…
 やらなきゃいけないことで
 頭がいっぱいいっぱいで。」

「ムーン君は普段何をしているんだい?
 仕事をしているのかね?」

ウェンさんが僕に質問をする傍らで、
ツリーも僕を見ていた。

「いえ、大学生です。
 バイトをやっているくらいで
 仕事にはついてませんよ。」

「大学生かね。
 やりたいことがいっぱいできる
 時期じゃないか。」

「やりたいこと…ですか。」


いいこと や やりたいこと。

今までに自分の中に
これらの物事があったかなんて
考えもしたことがなかった。

僕が考え込んでると
ウェンさんは微笑んで話を続ける。

「そんな深く考えることはないさ。
 君のやっている勉強の内容や
 バイトの社会経験とかだけでなく
 今周りで起きるすべてのことが
 きっと将来役に立つのだから。」

「そうなんですかね…
 ささいな困ったことならよく起きるんですけどね。」

僕はバイト先で須々木さんに
言われたことを思い出し、
そのとき自分で思ったことも含めて
この場で話してみた。


「ははは、自転車乗りながら
 植え込みに突っ込んだのは
 君がただ単にドジなだけじゃないのか?」

コーヒーを淹れてくれている
マスターが口を挟む。

「いや、確かにドジですけど
 他の事やっていると
 普段よりさらに集中できなくなるんですって。」

僕がとっさにムキになって
弁明にもならない弁明をすると
みんなが笑った。
ウェンさんも、ツリーも。


「でも君に『マイペース』だと言った
 その先輩も悪い意味で言ったのでは
 ないのかもしれんぞ。」

「うーん、そうだとしても
 僕自身この要領の悪さをあんまり
 いいものと思っていませんからねぇ。」

「案外君のことをうらやましがっているかもよ。」

ウェンさんの一言に驚く。

「えぇっ!?
 それは絶対ないですって。
 あのヒトは僕なんかより
 よっぽど要領もいいし、
 いろんな所に遊びに行ってるし、
 大企業に就職決まっているし…」

言ってて自分で悲しくなってきた。

そんなウェンさんはこう返してくれる。
「君の言うような表向きのことじゃあなくてだ。
 君のふるまいや奔放さは
 その人にないものかもしれないのだからな。」

その励ましだけでなく、
そういう考え方もあるんだ、ということに
気づかせてもらえたことが
うれしかった。

こんなに自分の悩みを吐き出して、
それに応えてくれた人がいたことは
これまでにあっただろうか。

店内の光景

「その2」に戻る  駄文一覧に戻る  「その4」に続く

「PIGEON’S MELANCHOLY」トップへ